ダブルスタンダード

ネットから気になるニュースが流れている。アメリカは北朝鮮の武器輸出を見てみぬふり、容認しているという。国内のイスラム原理主義勢力と戦っているエチオピア政府への北からの武器の輸出を看過したらしい。米の偵察衛星は格段の精度で地上の自動車さえ撮影できるカメラを積んでいる。精度はそんなものではないと巷間思われている。当然北の船の動きは詳細に把握している。ダブルスタンダード、ご都合主義もここまできたわけだ。偽札、麻薬、武器は北の輸出の3点セットだ。この輸出で獲得した資金の預金先のマカオの銀行からの受け入れを唯一の同盟国の中国の実質的な官立銀行が拒否している。マネーロンダリングに手を貸すのだから二の足を踏むのは当然だ。北朝鮮のキム次官は6か国協議で合意した寧辺の核施設の停止・封印など「初期段階の措置」について、期限内に作業を終えるのは「非常に難しい」と言っている。やっぱりそうか。
半月前にアメリカから帰国途中、成田空港へ立ち寄ったそのキムは、記者たちのマイクに涙声で「先の大戦の日本による、わが国民が受けた塗炭の苦しみは忘れることは出来ない」と答えていた。したたかというほかない。
昭和40年代の母と幼い兄妹の拉致のニュースが流れている。日本からの拉致被害者向けの短波放送は絶えず周波数を変えているのだが、妨害を続けているという。独裁君主国家は君主が***までどうにもならない。やりきれない思いに変わりはない。

唾棄すべき卑劣漢!

朝、東京から来た息子と家内を乗せ3人で小学校へ県議会議員選挙の投票へ行く。会場は体育館下のコンクリート床の多目的ホールだ。小学校の案内は「マルテ」、違和感を覚える。意中の候補者の名前を書き用紙を折り曲げて投票箱に入れる。立会人は校区の連合町会長と各町の町会長が持ち回りで担当することになっている。見慣れた顔に「おつかれさま」と挨拶したが、家内は「ストーブがない。寒くて大変だ」という。自分も前回の参議院選挙のとき立会人だったが、硬い椅子に一日中座り、疲れきったことを思い出した。このブログは朝の5時半過ぎに入力し始めたが、朝刊を見ると彼の名前は当選者のほぼ中間に載っていた。ホッとする。
数日前の日経新聞の文化面の下の広告を見て、ネットで購入した佐藤雅美著「覚悟の人 小栗上野介忠順」はほぼ半分ぐらい読み進んだ。先月NHKドラマの主人公だった彼、鎖国から開国、尊皇攘夷から倒幕へと至る激動の時代、優柔不断、卑怯未練な徳川慶喜の下にあって、最期まで自らの信念に殉じ、その使命を全うするために孤軍奮闘したかれの姿が浮かび上がる。それにしても唾棄すべき卑劣漢としかいいようがない、肝心なところでは責任を回避して逃げ回る徳川慶喜の姿にあきれ果ててしまう。総大将の彼だけは命乞いして維新後も生き延びたわけだ。

五七五?

タイヤの交換は今までは自分が行っていたのだが、今回からガソリンスタンドでやってもらうことにする。勤務に出かけた家内も「歳を考えて。無理しなくていい」と賛成してくれた。午前9時ごろ、普通タイヤを積んで行きつけの近所のスタンドへ行き交換を依頼したら1時間ぐらいかかるという。その間、車を置いて一旦家に戻り大リーグ中継を見ることにする。マスコミの扱いは昨日初勝利のモンスター松坂が主役になり、昨年左手首骨折で連続試合出場が途切れたわが県のゴジラ松井は影が薄い。地元H新聞の夕刊はスポーツ新聞のような趣なのだが、昨日の一面の扱いはトップは松井の得点打、その下が松坂の初勝利となっていた。何故かゴジラが主役になっている。家に着きテレビを点けると、ヤンキースオリオールズにリードを許していた。ゴジラはヒットこそ出るがホームランは今日も出なかった。ゴジラの凡退を見届けてスタンドへ戻り車に乗ると、ハンドルが軽く心地よい。
車を車庫に納め、少々寒いが快晴の空の下、散歩に出る。通り過ぎる道筋の桜の色が妙に白く感じられる。「さまざまなこと思ひ出す桜かな」ではないが、公害で大気汚染がひどかった40年ぐらい前の桜が真っ白だったのを思い出した。今年はその時ほどではないがピンクが淡すぎる。理由は桜に聞くしかないが、暖冬も影響していると思う。変なことを書くが、「さまざまな・・・」の芭蕉の句をはじめて知ったとき五七五ではなく七五五も俳句なのかと疑問に思ったことも思い出した。

イパネマの娘

朝5時前に目が醒めた。階段を降り茶の間のテレビのスイッチを入れる。ハイビジョン対応のこのテレビはコンピュータ内臓なので映るまで数秒かかる。OSはトロンかもしれない。NHKBSの松坂のMLBデビューは6回表が終了し、レッドソックスが2対0でホームのロイヤルズをリードしている。6回裏のカンサスシティーの攻撃、松坂は一塁側ベンチから出てきた。日本ではホームチームは一塁側と決まっているので一瞬違和感を感じた。西武時代と違い駆け足でマウンドへ向かうのだが、ラインを踏まないように手前で飛び跳ねるようなしぐさが微笑ましい。いつもの精悍そのもの自信満々な姿だ。ところがいきなり先頭の左打者に近めのややシュート回転したストレートをライトスタンドへ放り込まれた。次打者も左、外角のチェンジアップをレフト前に運ばれた。次のバッターは三振、一塁走者はセカンドでアウトになりゲッツー、これはラッキーだった。ビデオで確認しなくても明らかにセーフ、死角の位置にいた審判の誤審だ。松坂は7回を投げ10三振、試合はボストンが勝ち初勝利を飾った。試合後のインタビューでは淡々と感想を語っている。本人が一番分かっているがこれはあくまでスタート、彼のMLB人生の始まりに過ぎない。野球通?の家内に「楽天に勝ったようなものだ」といったら「そうだね」とうなずいている。
昼休み、ビルの通りを挟んだコーヒーショップでサンドイッチを食べていると懐かしいメロディーが流れてきた。ボサノバの「イパネマの娘」だ。アントニオ・カルロス・ジョビンの作曲なのだが、40年以上前になるがゲストだった彼自身のギターの弾き語りを「アンディー・ウイリアムス・ショー」で聴いたことを思い出した。アンディーも途中から一緒に歌っていた。思わず聞き耳を立てたことを思い出した

余震?

暖冬の反動なのか4月に入っても寒い日が続く。出勤の道でも厚手のコート姿の人がかなりいる。新聞の桜情報ではK**園は3月初めの開花予想よりかなり遅く「咲き始め」となっている。職場の実習室のパソコンの調整などで1日が慌ただしく過ぎた。
夜は父と母の月命日の法事があるので帰りの道を急ぐ。裏地を外したコートなのでつい早足になる。家に着き仏間の石油ストーブのスイッチを入れると「給油」マークが点滅したので急いで油を継ぎ足した。温度表示は11度だった。チャイムが鳴り定刻に方丈さんが入って来られた。いつもながらのよく通る低音で「般若心経」に始まるお経を上げていただいた。「般若心経」は私も毎日自己流で励行しているが、手元の本で確認した読点(。)の切れ目と方丈さんと若干違うところがあるのに気づく。お経が終わり茶の間の炬燵でお茶を飲みながらやはり先日の地震のことが話題になる。能登には禅宗の寺がかなりある。方丈さんの寺は問題なかったが、能登地方の禅宗の寺はかなりの被害だったらしい。今日の朝、出勤のため内玄関の扉を開けたとき余震だと思われるガタガタとした音が10数秒続いたことを思い出した。尋ねてみたが「自分はその時間は車の中だったので分からない」、夕刊には余震の記事はなかった。

喉元過ぎれば熱さを忘れる

インフルエンザ治療薬タミフル服用後の異常行動が大きなニュースになっている。東国原知事の発言が問題になっているらしい。4年前の12月中旬、私自身初めてインフルエンザに罹り41度近い高熱にうなされたことがある。木曜日の夜がピークで苦しくて苦しくて布団の上で殆んど眠れず七転八倒状態だった。翌日の金曜日は授業があるので勇気を奮い起こして出勤し、ポーカーフェースでどうにか授業は終えた。担当の授業が終わった後早退し、すぐに近くの医院へ飛び込んだ。医師は「インフルエンザです。自分の医院の薬は無くなったので、他の病院に連絡してみる。あるかどうか分からないが」と数ヶ所に電話をした。Y**病院にあることが分かり、タクシーを飛ばして向かった。その晩から薬を服用し続け、日曜日の深夜にどうにか熱は下がった。このときほど薬のありがたさを感じたことはなかった。通常は薬の名前は気にも留めずに服用しているが、その薬「タミフル」の名前は鮮明に記憶に残っている。翌年からは予防接種を心がけてきたが、昨年の12月は忘れてしまった。今年は必ず接種する。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」、自戒したい。

1億慟哭す

文藝春秋の小倉蔵次侍従日記「昭和天皇 戦時下の肉声」、侍従職庶務課長として各大臣や陸海統帥部総長などの天皇への拝謁の時間調整を担当していた彼の率直な感想を交えた記述となっている。終戦直前の日々の記述が生々しい。
8月9日 ソ聯、今晩零時を期し、日本と交戦状態にある旨、宣戦を布告し、ソ満国境並、北鮮国境を越え侵入、攻撃し来たれり。我亦自衛の為め之に応戦す、事態極めて重大となれり。
去る6日8時過、広島に対し原子爆弾らしきものを投じ大被害を惹起、その際、李殿下御負傷、終に薨去遊ばれたり(7日前5時5分)。遺骸は海軍機を以て宮城に御運びす。
8月10日 東宮職設置される。
8月14日 本日、異例の御前会議に於て、聖断に依りポツダム三国宣言を受諾することに決する由。内閣全閣僚、内閣書記官長等、統帥部首脳出席。陛下には、卿等色々意見もあろうが、之以上国民の惨害を見るに忍びずと、御悌泣遊ばされつつ仰せあり。各員皆慟哭、茲に受諾に一決せる由。全く聖断に依るもの、恐ク(クは未登録漢字)に絶へず。直ちに大詔を渙発あらせられ、夜、参拝謁間に於て、御放送録音、翌15日正午、放送せられたり。1億慟哭す。