懐かしい小説家たち

私の履歴書」は先輩や友人についての記述に移る。我が辻邦生の名前が一番先に出てくる。二人の始めての出会いは昭和20年6月と辻は書いている。その後、マンボウ航海でパリの辻夫妻に再会し、ドイツやチロルを旅行したこと、北が自分の習作の生原稿をトマス・マンの真似をして辻に聞いてもらったことなど「若き日と文学と」の内容とも符合していて懐かしい。私自身は25年ぐらい前にある雑誌社の講演会で辻邦生の話を直接聞いたことがある。彼の「生命とは歓喜で、文学とはそれを実現させる手段だ」は忘れられない言葉だ。
遠藤周作文士劇で共演した時の写真が載っている。キリスト教信者である遠藤の小説は「沈黙」「死海のほとり」「深い河」「侍」「剣と十字架」など、信仰を絡めた時代小説中心にかなり読んだ。テレビ等で軽妙な話をする一面があるが、神とぎりぎりまで向きあう内面に深い感動をおぼえた。本棚を確認してみたが「沈黙」は無かった。
埴谷雄高の「死霊」は、同時代の小説家の間では「戦後最高の文学」と言われていたので、読んでみたが自分には難解だった。埴谷自身がある雑誌か週刊誌のインタビューに確か次のように答えていたように思う。「自分の小説(死霊)は1000年ぐらいあとに理解してもらえば良い」。
元気な友人の一人の阿川弘之は、文芸春秋の巻頭言の随筆を毎月読んでいる。旧仮名づかいで書いているので却って新鮮なリズムを感じる。小説は日本海軍の知性といわれた「米内光政」「井上成美」を読んだ。日独伊同盟に反対し、無謀な戦争に抵抗し、命がけで終戦工作に尽力した人がいたことをこれらの小説を読んで初めて知ることが出来た。戦後生まれの自分たちは戦前の軍人はすべて悪だと教わってきただけに、改めて教育とは何かを考えさせられた。