コンピュータ ソフトが無ければ ただの箱

大学を卒業してコンピュータ会社でソフトウェア技術者として30年以上勤務し、縁あって転職し今の職場で学生にコンピュータによるシステム開発を教えている。
コンピュータはハードウェアとソフトウェアから構成され、機械そのものがハードでそれを動かす技術がソフト(プログラム)である。今のコンピュータは約60年前フォン・ノイマンという大天才が構想したプログラム内臓方式といって、一連の手順(プログラム)をハードに前もって記憶させ、その手順どおりに動作させる方式となっている。近年コンピュータの動作速度、記憶容量等ハードの性能は驚くほどの進歩を遂げているが、方式(アーキテクチュアという)自体は何も変わっていない。いわばフォン・ノイマン方式というお釈迦さんの手のひらで動いている孫悟空のような位置づけなのだ。ソフトの開発技術の進歩はハードの性能技術の目覚しい進歩に比較してはなはだしく遅れているというのが現状である。ソフトの開発自体をコンピュータ化しようという取り組みも当然行われているが、今のところソフト開発はアルゴリズムの手順を一行一行コンピュータ言語でハードウェアに記憶させるという前近代的な手工業の世界というのが本当のところだ。ソフトウェア技術者の不足も大本を質せばそこにある。
午後11時、ロストロポーヴィッチのチェロが聴きたくなって、サンサーンスのチェロコンチェルトを聴いている。同じ盤のLPもあるのだがCDの方を聴いている。モノラルだが何故か惹かれる。