功績は義経より範頼?

三田誠広の「夢将軍/頼朝」後半の数10ページを一気に読み終える。一般的には弟の義経は悲劇の英雄として、武家政治の創始者頼朝は悪役として扱われている。自分も似たようなものだったが、彼の実像がよく知られていないのがその原因だということをこの本を読んで実感した。頼朝は武家の棟梁とされているが、実際は京で生まれ、管弦の名手であった母由良御前の影響を強く受けた繊細な性格で、多感な少年時代を都で過ごした。その京の文化の中で育った文人肌の彼が武家の棟梁として大軍を率いて、鎌倉幕府を築くことになる。義経に関しては、一の谷から壇ノ浦に到るまでの後の世から賞賛された大戦果もいわば結果オーライで、兄の範頼が九州に駐屯して平家の退路を断ったから平家は滅びるしかなかったとされている。頼朝は範頼の功績を高く評価し、義経は鮮やかに勝ったが、無理に海戦で決着をつけなくとも、いずれ平家は滅びたはずだと確信していた。反面、義経の傲慢で礼を失した態度、見通しのない賭けに等しい冒険、鎌倉の命令を無視した理不尽な行動など、将たる資質に懸念を深めていた。清盛との運命的な出会い、後白河法皇(四の宮)との確執、西行との出会いなどが物語展開に大きな役割を果たしている。辻邦生の「西行花伝」、井上靖の「後白河院」の2冊は特に心に残っている代表的な小説だ。三田はこの本の前に「清盛」を書き、次に「後白河」を書く予定らしい。どちらも楽しみに読みたい。私にとって井上から辻そして三田と3人の作家との出会いは奇縁を感じる。
最後に、小説中にも載っているが、有名な2首の和歌を引用する。
西行のあまりにも有名な1首、彼は生前読んだ和歌そのもの2月16日に入滅した。
「ねがはくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」
頼朝の文人としての資質を受継いだ実朝の「小倉百人一首」に選ばれた1首、実朝は非業の死で知られる。
「世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも」
●聴いた曲
 シベリウス弦楽四重奏曲
 グリーグ弦楽四重奏曲
  ニュー・ヘルシンキ弦楽四重奏団