罪なくして斬らる!

小栗上野介、薩摩、長州の討幕軍に対し、幕府内で終始主戦論を唱え、西郷・大久保からその実力を恐れられたこの偉人のことは、10数年前に童門 冬二 著「小説 小栗上野介―日本の近代化を仕掛けた男 」を読んで始めて知った。歴史とは勝者が自分たちの正当性を記すものだということを改めて思い知らされた。
1827年(文政10年)生まれの彼の小栗家は代々徳川家に仕え、上野、下野、上総、下総など2700石の禄高を持つ旗本だった。攘夷論の幕府で、彼は終始一貫して海外との貿易を求め、開国思想を推進していた。アメリカへ修好通商条約締結のため派遣され、日本人で初めての世界一周を果たす。36歳で勘定奉行に任命された彼は海外文化を積極的に取り入れ、横須賀造船所の建設、仏語学校の建設、陸軍伝習所を開くなど幕府のためのみならず、日本の近代化のために数々の偉業を成し遂げた。薩摩、長州の討幕軍は上州に隠遁した彼を執拗に探索し、1868年(慶応4年)の4月隠遁先で捕縛し、翌日打ち首にしてしまった。彼の実力を恐れに恐れていた西郷の厳命だったという。彼が建設した横須賀ドックは130年後の今も稼動している。
 その彼が主人公のNHKのドラマ「またも辞めたか亭主殿〜幕末の名奉行小栗上野介」は今日が後編だ。食事の後片付けを終えた家内もコタツに入っている。私は「NHKが彼が主人公のドラマを作るとは思わなかった。時間が経ったんだ」と言う。薩長討幕軍のことを「足軽集団」と揶揄していた彼、最後の打ち首のシーンで頭を押えた捕吏を「無礼者」と下がらせたシーン、42歳の最期の瞬間だった。上野介夫婦役の俳優も凛とした姿を好演していた。このドラマは大島昌宏著「罪なくして斬らる―小栗上野介」を脚色したものだった。こちらも是非読んでみたい。