敵が千人で味方が千人

丸谷才一氏のエッセイを読むと、どんなに落ち込んでいても、不思議に元気になる。その落ち込みことが今日あった。たまたま大地震の日曜日に息子を送った小松駅のキオスクで買った「絵具屋の女房」を読み少し元気になってきた。阿川弘之氏と同じく旧仮名遣いで書かれた文章は、活字を追いながら何ともいえない余韻のようなものを感じる。頭のモヤモヤがすっきりする。
「英雄色を好む」の一話、秀吉の朝鮮侵略、これは誰が考えても歴史上の愚挙だがあの本居宣長がそれを称えていたという。文学の仕事は人の心のまことを表現して、「もののあはれ」を書くことだと主張したこの大天才が、秀吉の侵略を肯定する説を展開している。丸谷氏同様思わず茫然とする。以下のとおりとなっている。新仮名遣いで入力する。
なお一言つけ加えれば、すべてこの戦争は、朝鮮の罪はしばらく横に置いて、初めに思い立ったように、最初から明を討てばよかったのだ。朝鮮経由で南京へ行くのは不便だから、南のほうから攻めて先ず南京を取るべきなのである。足利時代、西のへんのあぶれ物(倭寇のこと)が出かけて暴れまわった時さえ、鎮圧しかねて、大変な騒ぎだったのだから、明の連中は日本と聞けば鬼神のように思って怖がるだろうし、このころ太閤秀吉の名は四海の外までとどろいていたから、その軍勢が押し寄せると聞けば、しっかり武器をとって手向かうなんてあるはずがない。噂に聞くだけで逃げるから、南京攻略なんて簡単だ。
先の大戦昭和天皇の質問に対して参謀本部陸軍大臣杉山(元)の答えは、「支那は鎧袖一触ですぐ参る」だったことを思い出す。
「剣豪譚」の一話、丸谷氏は池島信平氏に相談事をしたときの、池島氏のことばが印象的に残る。
「人生ってものは、敵が千人で味方が千人なんです。敵の千人が減ることはぜったいない。とすれば、味方の千人が減らないようにするしかないんですよ。よほど厭ならともかく、我慢できることだったら、ウンと言うんですな」